心の在り方

苦しみとは

苦しみとは

誰もが必ず経験する”苦しみ”。

生きている以上、苦しみや悩みは尽きることがありません。今ある悩みが解決したとしても、また新たな悩みが現れます。

一般的に悩みは辛いものであり、できることなら避けて通りたいと多くの人が願うものです。そのため悩みや苦しみに関しては、はるか昔から『どうすれば逃れられるのか』とその解決策が求められてきました。

その策を見つけようとした一人が釈迦です。釈迦は自らが苦行難行を繰り返し、人々を苦しみから救う方法を模索し続けました。その結果、『逃れることはできない』という答えにたどり着いたのです。

悩み・苦しみは、逃れようと思っても逃れられるものではないということを悟ったのです。

では私たちは、生きている限り悩み苦しみ続けていかなかればならないのでしょうか。

人生とはどこまでも辛いものなのでしょうか。

そんな先の見えない不安や疑問について、見ていきたいと思います。


苦しい・辛いと感じるのは

苦しい・辛いと感じる理由

人はなぜ、辛いと感じるのでしょうか。何を苦しいと感じるのでしょうか。

物事がうまく進まない、過酷な環境にいる、人間関係が悪く傷つくことが多い、経済的に厳しいなど…。

人はそれぞれ悩みを抱えており、それを解決するために行動を起こします。それにも関わらず、何故か同じような問題に繰り返し悩まされています。

例えば、職場の人間関係に悩み、意を決して転職をしたものの、転職先で再び人間関係で悩まされてしまう。

または、経済的に苦しく、何とかしようと努力をするものの、一向に良くならないなど。

このように、自分の思い通りにいかない時、人はそれを『悩み・苦しみ』として捉えるのです。

しかしこの世は、思い通りにいかないものです。それゆえ人生を”苦しい・辛い”と感じてしまうのです。

つまり苦しみとは『思い通りにならないこと』なのです。


”苦しみ”の固定観念

”苦しみ=嫌なもの”

多くの人がそう考えるのではないでしょうか。

苦しみなどない方がいい。人生思い通りになれば、どれだけ幸せか、と。

苦しみを感情的に捉えれば、できる限り経験したくないと感じるでしょう。ですが、苦しみ・悩みを経験するために、人はこの世に生まれてきたと言っても過言ではありません。

と言いますのも、私たちの人生の目的は”霊的成長”の一言に尽きるからです。

人生での様々な問題を、自己成長と共に解決していくことで、最終目的へと少しずつ近づいていくことができるのです。

しかし、この生きる目的が、多くの人の記憶から失われています。そして物質的な欲を満たすことに固執し、感情に任せて生きています。

本来”苦しみ・悩み”というものは、自分を成長させてくれるとてもありがたいものですが、感情に任せて生きている人が大多数を占めているこの現状では『苦しみ=嫌なもの』という固定観念が身についてしまうのも、それがごく当然のこととなってしまっているのも、ある意味仕方のないことかと思います。

ですが、いつまでも上辺だけの感情で悩み苦しむのではなく、苦しむ意味を知り、問題に感謝できる心へと成長していきたいものです。

『苦しみ=嫌なもの』という固定観念から『苦しみ=ありがたいもの』へと捉えられるよう努力をしていきましょう。


”感情”という逃げ道

ここで、感情について触れたいと思います。

『人生の目的が霊的成長だということはわかった。問題を解決することで成長していけるということもわかった。しかし、簡単にはそう思えない。頭では理解できても心がついていかない。人間は感情を持つ生き物なのだから』と言われることがあります。

”人間は感情を持つ生き物”

確かにその通りです。ですが私たちは『感情を持つ生き物』であり、『感情に支配される生き物』ではありません。感情があるからこそ苦しみの意味を知り、感謝することができるのです。

そして感情は自らコントロールできるものです。日常生活の中でも、無意識ではあるものの、常に感情を選択しているという事実があるのです。

無意識に意識を向けてみてください。嬉しい時、悲しい時、辛い時、悔しい時…その感情を抱いた自分を見つめ、なぜそう思ったのかを客観的に問うようにしてみてください。今までは考えもしなかった自分の感情に、その感情を抱く原因があることに気づきます。

常に”無意識に意識を向ける”ことで、出来事と感情の結びつきの特徴がわかり、心の癖を把握することができます。さらには”無意識に意識を向ける”というわずかな時間に冷静になり、自分の意思で感情を選び、コントロールしていくことができるようになるのです。

感情に左右されるのではなく、感情をコントロールする。それを可能にするのが人間です。感情を逃げ道にするのではなく、自分に責任を持ち、しっかりとした足取りで人生を歩んでいきましょう。


問題は歓迎するもの

問題に感謝

人間はただ生きるためにこの世に生を受けたわけではありません。”霊的成長”という目的を持って生まれてきています。

問題は、霊的成長には欠かせません。そのため、一つ問題を解決すればまた別の問題が、その問題を解決すればまた次の問題が現れてくるのです。

そもそも起こる出来事を”問題”として捉えてしまうのは、今の自分では解決できないからです。今の自分では解決できない問題を解決するためには、心を成長させ、より自分を大きくしていく他ありません。

これは、小学1年生の算数の問題を、高校3年生が簡単に解いてしまうことと同じです。小学1年生が悩み考える問題であっても、高校生にとっては頭を悩ます問題ではないのです。

私たちは成長していくことで、これまで悩みだと感じていたことを悩みだと捉えなくなります。そして、心の成長度合いに見合った、より難しい問題が現れてくるのです。

問題が現れると人は悩み苦しみます。しかし、その問題が現れるからこそ、今の自分に足りないものに気づけるのです。

視野が狭くなっているのかもしれません。感謝が足りないのかもしれません。自分基準の思考に固執しているのかもしれません。

いずれにせよ、自分がより成長するために必要なものを、目の前の出来事が”問題”という形で教えてくれているのです。

問題と同時に、その解決方法も現れているのですから、これがどれだけありがたいことなのかおわかりいただけるかと思います。

問題と同時に答えも出ている。私たちはそれを素直に受け止め実行するだけで、成長をしていくことができる。

問題や悩みが起こる理由を知れば、苦しみにさえ感謝できます。問題を喜び、歓迎することができるのです。

生きている限り、問題だと感じる出来事は現れ続けます。それを感情的に捉えるか、成長という目で捉えるかで、辛く生き続けることも感謝の気持ちで生き続けることもできるのです。

感情的には辛く苦しいことも、魂はその成長のチャンスに大きな喜びを感じています。それは、心の成長と共に実感していけるようになります。

人本来の心からの喜びを感じ、どのような苦境に立たされても感謝で受け止めていける状態を目指していきましょう。


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